外国人は“みんな悪い”のか――誠実に生きる多数派が見えなくなる日本社会の現実
日本の街には、実にさまざまな外国人が暮らしています。朝早くに清掃の仕事へ向かう技能実習生、大学に通いながらコンビニでアルバイトを続ける留学生、専門職としてIT企業で働くエンジニア、家族と穏やかに生活する永住者――彼らの姿は、もはや珍しいものではありません。日本語がまだ得意でなくても、一生懸命に周囲へ気を配り、礼儀正しくふるまおうと努力する人も多い。税金を納め、社会保険を払い、日本社会の一員として責任を果たしながら暮らしている外国人は、実は想像以上に多いのです。
しかし、そんな多数派の姿はニュースにもSNSにもほとんど現れません。静かにルールを守り、誠実に生活する人々は、意識されることすらない「日常」に溶け込みます。その一方で、ごく一部の外国人が起こした問題行動が大きく報道されると、あたかも外国人全体が危険であるかのようなイメージが形成されてしまう。この“認知のゆがみ”こそが、現代の日本で外国人をめぐる空気を複雑にし、人と人の距離を広げている大きな原因です。
本来、外国人も日本人も「多様な個人」であり、良い人もいれば悪い人もいるというだけの話です。しかし「外国人」という大きなカテゴリで語られる瞬間、個人の差は見えなくなり、偏った印象ばかりが強調されてしまう。この記事では、その構造を丁寧に見つめながら、多数派の誠実さが見えなくなる理由、そしてこれからの日本社会が持つべき視点について深く考えていきます。
真面目に生きる人々は目立たないが、確実に日本を支えている
外国人と一緒に働いたことのある人、日常的に外国人と接する仕事をしている人はよく知っています。誠実で、よく働き、周囲に迷惑をかけないように配慮し、自分の国との文化の違いに悩みながらも、少しずつ日本社会に馴染もうとしている人が、本当に多いということを。
例えば、技能実習生は決して楽ではない環境でも、与えられた仕事を丁寧にこなし、同僚との人間関係に気を配り、指示を一つひとつ確認しながら業務を覚えていきます。留学生は学費と生活費を支えるためにアルバイトと学業を両立させ、将来の進路を真剣に考えています。専門職のエンジニアも、技術力で会社に貢献しつつ、職場の文化に合わせようと努力を続けています。
しかし、こうした“静かで当たり前の日常”は、誰かが注目してくれるわけではありません。問題を起こさない人々は話題にならず、日々の誠実な努力は社会に記録されることもほとんどありません。その一方で、少数の問題行動は強烈に報じられ、外国人に対するイメージを大きく左右してしまいます。
そして、その空気によって最も傷つくのは、まさにこの“真面目に生きる外国人”たちです。彼らの中には、周囲の視線が変わったと感じる人もいます。「自分は真面目に生活しているのに、ニュースで外国人が悪く言われると、自分まで疑われているように感じる」「日本語が不安だから、ちょっとした誤解で自分も悪者にされるのではと不安になる」といった声も少なくありません。
いわれのない偏見にさらされ、つらい思いをしている人もいます。何もしていないのに冷たい態度を取られたり、周囲が距離を置いたりすることで、「自分は大丈夫だと思っていたけれど、本当は違うのではないか」と疑心暗鬼になるケースもあります。仕事場での雑談に入れず、微妙な疎外感を抱き、「このままいじめの対象になってしまうのではないか」と怯えながら日々を過ごす人もいます。
真面目に生き、社会に貢献していても、不当な偏見から身を守ることは難しい。その理不尽さを抱えながら、それでも誠実に日本で生きようと努力している人々がいるという現実を、もっと丁寧に想像する必要があります。
SNS時代が偏ったイメージをつくり出す
現代は、SNSの拡散力が社会の空気を決める時代です。ある外国人の行動を撮影した短い動画が投稿されると、その背景や事情がわからないまま、一気に拡散されてしまいます。そして、たった1本の動画が“外国人全体の性質”かのように扱われ、偏見を助長する材料になってしまうことがあります。
動画の本人にとっては、数秒の切り取りで人生が傷つくことさえある時代です。誤解が誤解を呼び、「外国人は危ない」「外国人はマナーが悪い」といった雑なイメージが加速し、幅広い外国人が影響を受けてしまうのです。
実際には、多くの外国人がSNSの空気に敏感で、日々不安を抱えています。「今日の職場での行動は、日本人にどう見えたのだろう」「少し大きな声で話してしまったけれど、失礼に思われなかっただろうか」「自分の国籍だから警戒されてしまうのでは」と、自分を過剰に責めてしまう人もいます。
この不安は、単なる気のせいではありません。SNSの過度な拡散や断片的な情報によって「外国人への視線が厳しくなっている」と感じる場面が実際に増えているからです。背景事情を知らないまま、一部の行動が大きなラベルとなってしまい、関係のない外国人全員がその影響を受ける構造が生まれています。
「外国人は悪」という空気の副作用と、これから日本社会が持つべき視点
偏った空気の副作用は、想像以上に深刻です。誠実に生きている外国人が肩身の狭い思いをしたり、いわれのない批判を浴びたり、心ない言葉によって傷つけられたりすることが増えています。ときには、周囲の何気ない目線や小さな態度の変化に敏感になり、「自分はここにいていいのだろうか」と自尊心が揺らぐこともあります。
さらに、外国人労働者がいなければ成り立たない業界が日本には数多くあります。介護、物流、外食、農業、製造業、建設――いずれも深刻な人材不足が続いています。真面目な外国人が日本を選ばなくなれば、社会全体が立ちゆかなくなる可能性すらあります。
本来、問題は「外国人という属性」ではなく「行動した個人」です。国籍を理由に良し悪しを語ることは、問題の本質を見えなくしてしまいます。必要なのは、国籍ではなく“個人”を見る姿勢であり、誠実に暮らす人々に敬意を払うことです。
日本はこれから、外国人と共に生きる社会へ確実に進んでいきます。そこで求められるのは、偏見に流されず、一人ひとりの人間を丁寧に見る力です。誠実に生活している外国人を正当に評価し、問題があれば国籍を問わず対処する社会なら、外国人も日本人も安心して暮らせます。
そして、誠実に生きる外国人の姿をきちんと捉えることは、日本社会そのものの成熟にもつながります。共に生きる以上、互いの努力や不安を理解し、支え合う視点こそが、これからの時代に必要なのだと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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